生きづらさの正体は
2019-09-15


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それは他者への暴力性として現れる。政治的な理由や金儲けのためではない。その幼児性・暴力性を抑えることができない“いじめ”と同じである。何をやっても処罰されなければ普通の市民がいくらでも残忍になる。「嫌韓」は一時的かもしれない。だが、その本性は繰り返し出てくる。「金が欲しいから」という言い訳が許される酷い国に、もう一度市民的成熟をもたらす日常の中の小さくて「まっとうな宗教体験」が必要だろう。

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