大切な言葉が遣われる小さな画面2024年12月31日 17:38

年賀状の文案を書きながら、年の暮れに一年を通して回顧する習慣が付いています。普段、リアルタイムで見ることがほとんどないテレビですが、今年はよく観たという印象が残りました。それは、NHKの大河ドラマと朝の連続テレビ小説をずっと観ていたせいかもしれません。『光る君へ』と『虎と翼』。二つの看板ドラマを同時期に全編観続けた記憶は過去にありません。それぞれに時代を画する特徴的な作品ではありましたが、一方は和紙に綴られた「連綿体」、一方は六法全書に記された「条文」という対照的な“言葉遣い”の中に、人の心を映し出してみようとしたドラマだったような気がします。
 『光る君へ』が終わって1週間後、我が家で20年使ってきた液晶テレビの電源が入らなくなりました。道長様の最後に合わせたのかどうかはわかりませんが、以前から買い換えようとしていた気分を後押ししてくれたのでしょう。新しい液晶テレビにようやく慣れた頃、今度は二つの対談番組に引きつけられました。『拝啓十五の君へ』とシリーズ徹底討論『宗教と政治』Vol.9。一方は震災前の歌コンの課題曲『手紙』をめぐるアンジェラ・アキと五島列島の中学生との親交、一方は信教の自由を攻撃的な武器とする信仰という話です。「失われた30年」とも呼ばれる時代を生きた世代のナマの声が語るこの15年は、同時に鬱憤を吐き出すヘイトスピーチが跋扈(ばっこ)し始めた時代でもあったような気がします。言葉が持つ様々な側面を、新しい年に向けて考える時間になりました。
 ちなみに、我が家のテレビは一回り“成長”しました。それでも、“4K”とは無縁の32インチです。

「問い」を立てる“無知”の自覚2024年11月17日 17:25

特定の番組を録画する以外ほとんど接しないテレビや、時々関心が向いた音楽動画しか見ないYoutube、10数人しかフォローしない旧Twitterのタイムラインなど、新聞と読書を除けば日常的に受信する情報はごくわずかです。それにも関わらず、この世の中がディストピア小説のような社会に一歩一歩近づいている気配を感じることが多くなりました。
 生成AIよりひどいフェイク画像、“リポスト”の水増し、特定アカウントへの誹謗・中傷・攻撃、根拠のない陰謀論への加担・盲信。口先ばかりの虚妄の詭弁・空語など、朝三暮四で丸め込むサルの集団を相手にするようなネット上の発信は、倫理の底が抜け、利権と中抜きにまみれたこの国に今最もふさわしい風景の一つでしょう。そういえば、“コスパ&タイパ”はそれらの商売を見事に象徴するキャッチフレーズですね。
 そんな中、日本語を学習しようと訪ねてくる外国人を支援する週1回の日本語教室がなぜか一番真っ当な世界に見えてくることを禁じ得ません。先々週、担当4人目となる台湾出身の学習者を迎え、格助詞の活用を示しながら会話を広げる取り組みに新たに参加してもらったら、とても面白かったと“受講”の感想が届きました。人の名前がすぐ出てこなくなり、覚える和歌より忘れる漢字の方が圧倒的に多くなっている今でも、自分なりに日本語を伝える工夫が必要だと日々考える次第です。
 言葉に正解はありません。個人の思量で物事が理解できる範囲もごくわずかです。だからこそ自らが「問い」を立て、自身が“無知”であることに自覚的になる時間が必要なのです。そのことを、私は映画と読書、そして伝統芸能から“学び”続けています。

鉛筆で瞑想する監督が描くアニメ2024年11月08日 17:19

11月3日の本命は東京国際映画祭でした。韓国のアニメーションスタジオ「鉛筆で瞑想する」のアン・ジェフン監督の新作が上映されることを知って渋谷に寄ってから日比谷まで出向いたのです。上映会場はTOHOシネマズシャンテ。3スクリーンのミニシアター(HP自称)ですが、スロープのある座席で観ることができました。作品名は『ギル(Gill、아가미)』、鰓(えら)のことです。韓国の作家ク・ビョンモが書いた小説を元に、103分の長編アニメーションが出来上がりました。
 アン監督の作品は今までに2本観ています。渋谷のアップリンクで『大切な日の夢』を、ソウル南山のアニメーションセンターで『そばの花、運のいい日、そして春春』(韓国語版)をです。見事な背景画と確かなキャラクター造形で、韓国内でも群を抜く質の高い作品を制作しているスタジオの作品を、本当に久しぶりに日本語字幕で鑑賞することができました。
 原作の日本語版は出版されていないので、小説との違いはわかりませんが、上映後のトークショーで語ったところによると、鰓をもつ青年に助けられた女性が、消息を頼りに訪ねて行く先は、韓国内ではなく、ヨーロッパに設定変更されています。その一方、時制が前後するシーン編集や、女性スタッフが好む“イケメン”風のキャラクターなど、今までの作風とは随分違った取り組みも行われていました。鰓が象徴するのは、人に見せられない幼少時に受けた精神的な傷のようなものですが、それゆえにこそ、そこに生き方を重ねてゆくように主人公が描かれます。
 作品上映後に監督のトークショーが行われましたが、人柄が滲み出てくるような語り口にも魅了されました。その後、会場を出た街頭で急遽サイン会が企画され、参加した観客と歓談しながら似顔絵を描いてくれました。そういうこともあろうかと、以前にチェッコリで取り寄せてもらい、この日持参したスタジオのガイドブックを差し出すととても喜んでいただけました。

「はて?」と問い続けたドラマ2024年10月25日 17:04

『虎に翼』が終わってしまいました。朝ドラを通して観たのは、カミさんの勧めで再放送された全編を観た『ちりとてちん』を除けば、はるか昔に遡ります。最後まで続いたのは、毎日ではなく、週末にまとめて放送する番組編成があってのことだったかもしれません。
 日本国憲法14条を柱に、法律の救いの手が十分に届かない問題を取り上げ、戦前から戦後にかけて生きた一人の女性法律家を主人公とし、数多くの示唆に富むエピソードで練り上げた傑作だったと思います。
 録画した画面のスタッフロールに懐かしい名前が出るのを楽しみに、週明け最初の回では、七七の字句から始まる米津玄師の主題歌をリモコン操作で飛ばすことなく聞き続けたことも、稀有(けう)のことでした。
 3年前の『ミステリーと言う勿(なか)れ』で初めて知った伊藤沙莉の熱演もさることながら、親友から義姉となる花江や、大学女子部4人の同窓生、そして母のはるや娘の優未など、それぞれの個性が際だつ女性たちによる、新しい群像劇を観るような心持ちで、なかでも、花江という女性を寅子と対称に置いた設定は、演じた森田望智(みさと)の演技もあって、とても印象深いシーンを残したと思います。
 「はて?」という「問い」の言葉が、様々な非合理や不条理に覆われた現状をあぶり出す寅子(ともこ)の真骨頂を表わすものであると同時に、彼女自身が見失ってしまいがちな普通の人々の想いを紡ぎ出す脚本の妙がまた見事です。「法の下に平等であって」という14条の字句を具体的な人間関係に広げた解釈とそこに声を上げ続けることの大変重い意義は、最終回にも間違いなく表現されていました。
 忖度に溢れた広報ばかりのニュースをよそに、このドラマが多くの視聴者の心に響いたことは疑いようがありません。時あたかも、検察と警察によって捏(ねつ)造された証拠で冤罪に問われた袴田さんに、無罪の再審判決が下りました。“司法”と名乗るからには、捏造した者らこそが裁かれなければならないでしょう。野間宏が書いた『狭山事件』(岩波新書上下巻)を読んで、権力が個人を陥(おとしい)れることの恐ろしさに一睡もできなかった夜を思い出しながら、声を上げ続けることを主題とした今回のドラマの素晴らしさをあらためて噛みしめています。

人間くさい造形を目指した俳優の死2024年10月18日 17:02

名優西田敏行氏が亡くなられました。日本を代表する俳優の一人であることは異論の余地の無いところなのですが、千変万化にキャラクターを演じ分けてきたことで、かえって代表作が何かと訊かれたら、百人百様の答えが返ってくるような気がします。猪八戒に始まり、『池中玄太80キロ』・『釣りバカ日誌』・大河ドラマ(徳川将軍から両西郷まで)など、数々のテレビドラマや映画でその特異な存在感を示してきました。
 私が最後に観たのはおそらく『俺の家の話』の能楽師だったと思いますが、いわゆる正統派スターとは違う、人間的な親しみを強く感じさせる人物造形で他を抜きん出ていたように記憶します。そのせいでしょうか。私の場合、一番思い出深い西田敏行像は42年前の『淋しいのはおまえだけじゃない』の取り立て屋に遡ります。このドラマは、市川森一が第1回の向田邦子賞を受賞した名作でもありますが、その成功の要因は、西田敏行が演じた「沼田」という“いかがわしい”人物の造形にありました。故小沢昭一さんの影響もあって、芸能の中にある“いかがわしさ”という要素が私には何より重要なのですが、若い頃からそれを感じさせてくれる俳優だったのではないかと考えるのです。
 そして、もう一本。こちらは私自身も映像技術で関わった単発ドラマ『山田が街にやって来た』。日英合作の作品ですが、西田敏行演じる日本語教師が“いかがわしさ”満載の主人公を演じています。
 両作品とも一筋縄ではいかない“複雑な”人物が描かれるわけですが、そうした人間性こそ、今最も失われつつある豊かさの本質を象徴しているもののような気がします。西田さんの死はそのことを痛切に感じさせるだけに、とても淋しいのです。