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だいぶ前のことになるが、ジブリ美術館が全面的に改装されると聞いて、休館になる前に観に行ってみようと思い立ち、今年のゴールデンウィークの直前に吉祥寺へ出かけたことがある。美術館へ行ったのはこの時で2回目だが、前回どんな特集展示があったのかは既に忘却のかなただ。
改装前の最後の展示は、江戸川乱歩の「幽霊塔」を素材に「通俗文化の王道」と題して怪奇小説の源流を遡る特集だった。黒岩涙香の「時計塔の秘密」から「灰色の女」、さらにはその原典である「白衣の女」まで取り上げる一方で、タテ方向への動きに感覚は強く反応するという宮崎仮設(?)を元に館内の中央に時計塔が作り上げられていた。小学校高学年の一時期、ルパンや二十面相など怪盗モノの児童本に心躍らせた経験もあって、しばし懐かしい世界に引き込まれたような気がした。1階でゾートロープを真剣に観ていたせいもあるだろうか。乱歩の少年小説自体は早々と卒業したが、その後、北村想の「怪人二十面相・伝」や久世光彦「一九三四年冬〓乱歩」など十分に繋がりを感じさせる読書体験もするのだから、やはり“王道”は強いものだとあらためて思ったりもした。
さて、一通り見終わったところで、ジブリアニメ好きの中国人留学生へのお土産を物色していたら、一つ前の企画「クルミ割り人形とネズミの王様」展の原作E.T.A.ホフマンの翻訳本(岩波少年文庫)を買うと宮崎駿のイラストカバーを付けてくれるという。グッズの類にはあまり関心を持たないが、これは素敵だと思って買い求めた。昨日それは手渡してしまったので、もう手元には無いが、実のところ渡す前に読んで見たくなり先に読了してしまった。面白かった。なんといったら良いのだろうか。奇想天外というか、子供の想像の趣くままに世界が広がっていくようだった。“メルヘン”というのはこういうものだったかと思い出させてくれた。と同時にどことなく儚げにも感じられた。原作が書かれた時代背景や、作者の身の回りに起きたできごとなどが、作品に投影されているからかもしれない。
実は、昨晩なにげなく、ネットで「くるみ割り人形」を検索していたら、Youtubeにチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」が挙がっていて、2012年12月にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で演じられた舞台公演を高画質で観ることができた。組曲を聴くのが好きで「くるみ割り人形」も2枚組のアルバムを買ったことはあるが、バレエそのものを通しで観たことはない。もちろん、生で観たこともないので、その善し悪しなど知る由もないが、初演があったこの劇場のスタッフが創り上げる舞台はとてもすばらしく、あっという間に時間が経ってしまった。もちろん、演目である「クルミ割り人形」自体が多彩な曲と踊りで構成されていることもあるだろうが、オーケストラピットから挨拶するワレリー・ゲルギエフを始め、繰り返し重ねて創ってきた舞台の出演者全員が“メルヘン”を産み出しているように見えた。
これこそ、“王道”なのだろう。
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