類い希なる政治劣化の果て
2017-03-04



 国有地払い下げ問題は愛媛県へも飛び火して第二ラウンドへ移ったようですね。

 安倍晋三氏の国会答弁を垣間見るに、繰り返し出て来る特徴的な言葉が彼の精神性を良く表しているかと思います。「まさに」、「責任者の私が…」、「いわば」、「において」、「一度も」。どこかに依拠しなければという内心の弱みを必死に糊塗しようとする態度が出ていて、見ていると少し同情したくなるほどの隠れた“劣等感”を感じます。ありていに言えば、それは表現する言葉に滲み出るはずの政治家としての器量が無いということです。

 そういう人をこの国の首相にまで選んだ過程には、その人に付き従う有象無象の存在はもちろん、支持を与えてきた多くの人がいます。ワンフレーズに“感動”する心性は、容易に他者への攻撃につながって、それを抑えて共生するという知恵が失われます。それは、威張りたがる“小さな○○”が巷に増える一方で、いったん問題が起きたときの“内輪もめ”や、いち早く逃げる算段をしている様子にも良く現れています。

 そして、騒ぎが収まってしまえば何気ない顔をして元に戻るそうした人たちがいる限り、全体主義への危険はいつの世にもあるのでしょう。オーウェルの「1984年」を読まずとも、それは身近なところにいつも素知らぬ風に存在しているような気がします。たとえば、オリンピックを“だし”にした「共謀罪」の新設を謀ることもその一つです。
[政治]

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