まなざしのやさしさ
2018-05-10


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元々、混雑する電車や大きな駅での乗り換えがきらいだった。地方赴任から帰ってきた当時、空いている電車に乗るために、自主的に早朝通勤したこともある。そんなこともあって、一時、都心にでることがとても億劫だった。それが地下鉄副都心線ができて事情が変わった。このルートを最大限に使うような習慣ができたのだ。以来、山手線に乗ることが激減し、新宿三丁目と池袋という地下鉄駅を乗り換えて都心へ出ることが多くなった。
 そうなると、おかしなもので、その沿線に足が向く。駅から少し遠くても歩く。Google Mapを使って…。
 たとえば、日大芸術学部へ行くときは江古田ではなく小竹向原から歩く。そして、もう一つ。ちひろ美術館へ行くときは上井草ではなくて石神井公園から向かう。慣れてしまえば20分強の道程もそれほど遠く感じない。そして、着いたときに少しだけ昂揚する自分がいる。
 日吉で児童書を扱う小さな本屋「ともだち書店」を留学生と一緒に訪ねた時、いわさきちひろ生誕100年を記念する「Life展」の一つ「まなざしのゆくえ」と題した展示会の招待券をもらった。会期が今週末で終わるので一昨日慌てて出かけたのだ。先週末の新聞日曜版で「いわさきちひろ」が取り上げられていたので混雑を予想したが雨のせいか観客はまばらだった。現代美術作家大巻伸嗣氏とのコラボレーションで大がかりなインスタレーションを含む異色の展示が並んでいた。
 ちひろの代表作の一つ『戦火のなかの子どもたち』、童話を元にした作品や雑誌「こどものせかい」などに描かれた“こどもたち”、自画像、そして宮沢賢治『花の童話集』の挿絵から選ばれたダリアの花。それらが、大巻氏の作品と合わせられることで、いつもとは少し違って見えたかもしれない。しかし、私にはコラボレーションの効果を受け止めるだけの受容の幅がないのだろうか。互いに拮抗する作品群と感じることしかできなかった。
 それでも一つだけ気になったことがある。「まなざしのゆくえ」というテーマを私が意識していたせいか、ちひろが描く“後ろ向き”の子どもたちの絵がとても印象に残った。少し悲しげだったり、不思議そうだったり、かすかに微笑んでいたりする、あの特徴ある黒い目の顔ではなく、向こうを向いた絵だ。何かに魅入られたように、あるいは何かを追って、絵の奥へと向かう子どもたち。その先に何を見ているのか。そんなふうに観ていたら突然、その子どもたちを観る“ちひろのまなざし”を感じた。それは何かたとえようもない“やさしさ”に満ちている気がした。これほどの“やさしさ”というものがあるのかというほどの…。
 それだけで十分だった。
[雑記]

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