2018-10-02
忘れないうちに書き残しておきたいことが沢山ある。Facebookに長文を載せる理由の一つは自分のためのメモだ。ただ、肝心のインプットが疎かになっては元の子もない。いつのまにか考え方そのものが薄っぺらになっていることに気が付いて唖然とすることもある。世事に追われることなく飄々と生きることは難しい。
一昨日行われた樹木希林さんの葬儀で俳優の橋爪功が弔辞を読んだ。本人の言葉ではなく映画監督是枝裕和が書いたものである。ネット上でその全文を読むことができる。希林さんと是枝監督は出会ってからまだ10年ほどだというが、互いに欠かせない存在になっていったのだろう。弔辞は、老母を失った一人息子の深い喪失感を全体に漂わせるようなものだった。
二人の関係は2007年の『歩いても 歩いても』から始まる。以前、この場でも取り上げたことがある映画だ。どこにでもいそうで実はどこにもいない老母の一つの“典型”。その俳優がさりげなく“寸鉄人を殺す”ような台詞をつぶやくと、もうその“リアリズム”がどんなシーンも成立させてしまう。長男を亡くした老母の哀しみは、紋黄蝶をその化身にするけれど、一瞬にして元の日常に立ち返る。その優れた演技は創り出された“自然”だった。
その昔、『今朝の秋』というドラマの映像調整を担当したことがある。あの『夢千代日記』で知られる演出家深町幸男さんの作品だ。山田太一が笠智衆を主人公に描いた家族劇である。小料理屋の女将になっている元妻を杉村春子が演じ、希林さんもそこの従業員役で共演している。「ネエさん」と、水商売ならではの言葉で呼び掛ける相手の女優は、昔研究生だった希林さんが文学座で付き人を務めた人でもある。もしかしたら様々な葛藤があったかも知れない。しかし、珍しく同世代を演じた希林さんの人物造形はすばらしかった。小料理屋のお手伝い以外の何ものにも見えない“典型”を観て、モニター越しながら凄い女優だと感嘆したことを覚えている。
「寺内貫太郎一家」など初期の破天荒ぶりも記憶に鮮やかな一方、ゼロ年代に「病を得て以降、後に残る映画に仕事の中心を移され、ちょい役で独特の印象を残すというスタンスから、主役を含め、作品を背負うような役を引き受けるようになったこと」で、次々と仕事を依頼してきたと是枝監督は語っている。その心境の変化を聞かないまま、「お婆さんのことは忘れて、あなたはあなたの時間を、若い人のために使いなさい……。私はもう会わないからね!」と言われ、亡くなるまで再会できなかったという。その覚悟に圧倒される。
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