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「80年前の修学旅行」と題した講演会に参加したのは、もう2週間近く前のことだ。韓国・朝鮮に関する本を、韓国語・日本語取り混ぜて扱う神保町のブックカフェ「チェッコリ」で、タイトル通りの大型本を出した戸田郁子さんの話を聴いた。刊行された本は、現在韓国仁川市で開かれている「忘れられた痕跡」展の第3部として企画されたコーナー展示を書籍化したものである。
1906年、朝鮮半島最北部にあたる間島(カンド)省龍井村(現在は中国延辺朝鮮族自治州)に民族教育学校が誕生する。前年に乙未事変があり、日本の政治介入が急速に進むことへ危機感を抱いた愛国者が次々に私学校を建て始める。その後の10年で約200校弱の私立学校が生まれた間島一体は、三・一運動の影響を受けた独立万歳運動を経て、満州での抗日運動の出発点となった。逆に日本にとっての間島は、領事館を置き大陸進出の一拠点とした場所でもある。
その間島の学生達が、1930年代に当時日本の統治下にあった朝鮮半島中北部と満州を巡る1ヶ月に及ぶ修学旅行を行っている。戸田さんは、この東北部一帯の歴史資料を長きにわたり収集しているが、当時の卒業アルバムに注目することで、写真や絵葉書によって浮かび上がる植民地化の朝鮮半島や満州の状況を再現してみようと試みた。
そこには、新しい風景と変わらない風景、そして変わりつつある風景が混在している。絵葉書に特徴的なのは多くの社会基盤、つまりインフラが取り上げられていることだ。いわゆる名所旧跡もないわけではないが、建築物を中心にした急速な近代化の様子こそが見るべき対象と言わんばかりである。もちろん、生活文化を活写した写真や『城津小唄』というご当地ソングの紹介など楽しそうなものも若干含まれてはいるが、戸田さんも解説しているように「帝国の威容」とも呼べる権威主義的な時代背景が色濃く出ている。
その一方、全体を通して見ていると、何か民族的なアイデンティティーのゆらぎそのものが見えるような気もしてくる。それは神社のような異文化との接触から生まれるのか。あるいは“新しいもの”と“遅れたもの”への意識から生まれるのか。いずれにしても、揺れ動く感情に翻弄されながら巡った場所で、学生達が何を思ったのかを想像してみるのも面白い。ちなみに『城津小唄』を唄った歌手「音丸」さんは、満州ものと呼ばれるレパートリーを持っていたそうだ。
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