無害なひとを探す物語
2020-05-11


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韓国の女性作家が大活躍しているように見えるのは、私のごく限られた情報摂取によるものなのだろうか。ミリオンセラーとなったチョ・ナムジュの『82年生まれ、キム・ジヨン』の邦訳が大きな話題を呼び、昨年秋に雑誌『文藝』が売り切れとなり、この数年続々と新作の邦訳が続いている。そのせいか、昨年来、1970〜80年代生まれの韓国女性作家の作品を私もいくつか読んでいる。キム・リョリョン『優しい嘘』、キム・エラン『外は夏』、ピョン・ヘヨン『モンスーン』など。先月には、妙蓮寺の本屋「生活綴方」でチェ・ウニョンの新作短編集『わたしに無害なひと』を購入して、過日読み終えた。
 世代も性別も大きく違う私が、韓国の新しいフェミニズムの勃興を背景に次々と翻訳出版される小説に関心を引かれるのは何故なのだろうか。生活の基層に儒教文化を色濃く残す東アジアの隣国ということもあって、小説の舞台や人間関係に共通するところは多いが、それを自国の作家ではなく、隣国の年若い女性作家の視点で読み直してみたいという欲求がどこかにあるのかもしれない。あたかも特定の光を通すフィルターのように。
 近年、若い世代が抱えている両国共通の問題は多い。「ウェブトゥーン」から生まれたドラマ『未生』にも特徴的に描かれているような“社畜”と呼ばれる過酷な企業内差別や、そもそもその列にも並べない非正規職の実態もある。“○○ハラスメント”が一体いくつあるのかと数えるほど、一部の学校や企業には前時代的な慣行が残っていて、そうした強い同調圧力によるしわ寄せを最も尖鋭的に受けたのが、新自由主義下の韓国の女性たちだった。『応答せよ』というドラマシリーズの進化にも見られるように、年々民主化前後の現代史を遡って厳しい統制社会の記憶を想い出しても、もう「大丈夫だ」と言える韓国の市民意識の昂揚が、依然として社会構造の底辺にあった若年女性たちの声を挙げる背中を押したような気がする。
 以前なら“マイノリティー”という言葉で括られて社会学の対象に押し込められていた人達の声が、現実を背景にした具体的な表現を得て、広く理解されるようになってきた。だから、『わたしに無害なひと』の登場人物はみな、多様に拡がっていく「わたしに無害なひと」との関係を再構築してゆく物語なのだと思う。時に、“♯MeToo”と言いながら…。
[読書]

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