護摩としての芸能
2024-10-13


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青物横丁という地名は随分と前から知っていたように思いますが行ったのは昨日が初めてです。京浜急行の駅が最寄りにあっても、私は東急沿線の住人なので大井町へ出て、そこから歩きました。徒歩で15分離れた場所は、鉄道の乗換案内には候補として出てきませんが、ネットの地図で見ればさほど遠くないことが一見してわかります。定期券を使わなくなると同時に、地図をよく眺めるようになった変化は、街歩きという別の楽しみを教えてくれました。
 さて、訪ねたのは青物横丁駅から至近の海雲寺というお寺です。三宝荒神の竈(かまど)神を祀っているところから、江戸時代以来町火消(まちびけ)しの信仰を集めており、護摩堂の天井にはその各組を象徴する纏(まとい)図なども描かれています。この一帯が品川宿でもあったところから、他にも様々な由緒があるのですが、その中に、寄席芸人からの奉納舞台が多く開かれたことが挙げられます。例えば、浪曲では二代目廣澤虎造、初代木村重松という大名跡もここで浪花節を唸(うな)りました。
 昨日は、その再現とでもいうような浪曲の公演があり初めて訪ねたという次第です。演者は玉川奈々福(「鹿島の棒祭」〓「椿太夫の恋」)、広沢菊春(「新門と梅ヶ谷」)、前読みの天中軒かおり(「若き日の小村寿太郎」)の三人で四席。いずれも浪曲らしい演目です。護摩堂の中に設(しつらえ)られたテーブル掛けを前に、当寺和尚さんの“短い”護摩焚(ごまた)き儀式による幕開けも行われました。
 お菰(こも)さんに扮した新門辰五郎が見立てた相撲取り梅ヶ谷の話は、人は見かけによらないという時代物の定番とも言える筋ですが、菊春さんの虎造ばりに少し濁声(ダミごえ)が入った声調が良く合っていました。奈々福さんはいつもながらの見事な“唸り”と“目線”を披露してくれますが、今回はそれ以上に、演目それぞれに出てくる女性の“声色”の出し分けの見事さにちょっと震えました。甘酒屋に入ってくる白髪の老婆、女郎屋の遣手ばばあ、花魁椿太夫の三者三様が眼前にありありと浮かぶのです。喩えていえば、伝統芸能の世界に一人芝居が混淆したような新しい世界を見ているようでした。いずれも過去に聴いた話であるにも関わらずです。
[芸能]

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